アスペル夫と生きていく術。いまだ模索中

65歳で行きついたのが夫はアスペルガー。さて今からどうやって生きていくのか

カサンドラになった私にも原因があった

私は65歳で初めて「カサンドラ」という言葉に出会った。
夫のことをちょっと変と思いつつも44年が経過した。

最近「夫はアスペルガーでは?」と思い始め、私の体調不良が続いたころに対比で出てきた「カサンドラ」という言葉にであった。

「確かに、確かに。この体調不良は夫のせいだ」と確信した。

アスペルガーだったのなら、いままでの44年間がすべて納得がいき、いままでの話し方では理解してもらえていなかったことを踏まえて、わかりやすい言い方で夫と話をする時間を持った。

2週間くらい経ったころ、ふと思い出した。もともと私が変わった性格だったことを。私も変わらなくてはと。

 

カサンドラなりやすい人とは

アスペルガーをパートナーに持つ人は相手との性格の不一致や価値観の違いと考えてしまい自分自身を追い込んでしまう。

完璧主義、白黒はっきりさせないと気が済まない、生真面目、頑固などの性格の人がなりやすい。

「こうあるべき」と思う私と、「察すること」が苦手な夫との間でストレスになっていたのだ。
まさに、私は「こうあるべき」と「察すること」と「従うこと」でで65年間生きてきた気がする。

私はカサンドラになりやすい人の典型だと思った。

f:id:happiness4970:20210513175240j:plain

私の育った環境

私の育った家は、旧家と呼ばれ家長(父)がすべてを仕切っていた。
それに従うことに何の抵抗もなかったし、女は3歩下がって殿方の後ろを歩く。それがむしろ正しい女性の在り方だと思っていた。

そして、一を聞いたら十を考えて行動すること。
一言で相手が何を言いたいのか、何を必要としているのかを察して動くのが当たり前の中で育った。
だからズバッとはいわずオブラートに包んで会話をする。それが美徳である。それでも皆が理解できる中で育った。
言葉を額面通りには受け取らない、本音と建て前の中で育った。
「忖度」という言葉がここ何年か多く聞かれるようになったが、すでに50年前に私は「忖度村」で育ったと思っていた。

結婚も見合いで顔も見たこともない人とするのだと思っていたし、それが当たりだと思っていた。

  • 誰からみてもいい人でなければならない。
  • 間違っていることはしてはいけない。
  • 目立ってはいけない。
  • 自分の意見を言ってはいけない。
  • しきたりを重んじる。

そこから外れると代々続いた立派な家に泥を塗ることになる。

旦那様の育った環境

とにかくはっきりと思ったことをズバッと言う。
他人のことは気にせず、思ったことを言い、個人個人が行動する。

その言動が人が傷つくなど誰も気にしないし、そのくらいのとこでは傷つきもしない。
結婚当時、私から見たときに、そこは異国であった。

そんな正反対の環境で育った二人が結婚した。

私は大人になり、家を出た。自由に行きたいと思ったからだ。
夫も育った地域に違和感を持ち県外に就職していた。

両極端な二人が結婚することになった。
私は、夫の実家や周りに対して戸惑った。

たまに帰省すると(帰省じたい迷惑がられる)
言葉(方言が強く言葉が理解できない)も風習もすべて大きく違う。オブラートに包んで発言する私の言葉は理解してもらえず、ズバズバ直球でくる言葉に戸惑った。
例えば結婚後も「もう少しいい人はいなかったのか。〇〇のところの△△ちゃんと結婚すればよかったのに」などと酒の肴にされる。
それを誰も止めない。「そうですね」と言い返すくらいの図太さがなければそこでは生きていけない。
私は「国際結婚」だと思うことにした。
その地域の中では夫が一番ものわかりがよく優しい人に見えた。

夫には強迫神経症という病気があった。
ここで育てば心が傷ついても当たり前だよなと私は思った。

 

一方、夫は私の実家や周りの人たちの「本音と建て前」があることを知らない。
場の空気も読めないから、失礼な言動を連発する。
しかし周りは私の夫だということで忖度し、面と向かって指摘することはない。

 

両極端な環境で育った二人はどちらが病んでもおかしくない

私は自分を出さずにいいなりになって育ってきた。(本音と建前の世界の中で)
私のほうが病んでいてもおかしくなかったなと思った。(しかし、病んでることにも気気づいていないのかも)

夫はアスペルガーで私はカサンドラになっていた

小さい頃の環境で「強迫神経症」になったと思った私は夫を支えることにした。

しかし、それはアスペルガーから来ていたのに気づいたのはごく最近である。
私の育った「男はこうあるべき、女はこうあるべき」の考え方が全くない夫である。
私が「これして、あれして」と指示を出していれば少しは変わっていたのかも知れない。

ところが私は夫が絶対君主ですべての指示を出すものだと思っている。
夫の動きやすいように支える。それが妻だと思っていた。
・出かけると言えば靴下を履かせ、ズボンも履かせる。
・出かける時は玄関外で見送り、車の音がしたら外まで迎えにでる。
・夫がホウキを持てば「そんなこと男の人が・・・」と私が取り上げる。
・夫が台所に立てば「そんなこと男の人が・・・」と私がやってしまう。

それが当たり前だと思っていた。


夫から見たらかつて経験がないだけに、嬉しかったようだ。

今から考えるとこれが大きな間違いである。
妻としての役目をやっていれば、夫が指示を出してくれる、家庭を引っ張って行ってくれると思っていた。(私の育った環境では)
ところが全く動く気配がなかった。
夫を引っ張っていくなどとんでもないことだと思っている私は
「夫が仕事が忙しいから私が代理で」という大義名分で私が動くようになった。

夫はアスペルガー。育った環境ではなかった

確かに、育った環境も影響はあるとは思う。
ただ、44年前、異国かと思った夫の生まれ育った地域も、時代の流れとともに違和感のないところまでになっているし、テレビやネットなどのお陰で、言葉も標準語に近くなり、他人のことも考えられるようになっている。44年間の間にひとつずつ階段を上ってきたなと思えるようになっていた。
ところが、地域や家族の中で一番人の心がわかると思っていた夫は44年前のままだ。いまでは一番人のことが思いやれない人になっている。(最初からその部分は欠落している)

育った環境だとばかり思っていた私はこの度そうではないことに気づいた。

私もカサンドラになりやすい人にぴったりと当てはまる性格である。

気づかずに過ごしたこの44年を取り戻すために

今回、夫がアスペルガーで私がカサンドラではないかと思ったときに
夫のせいで私が体調不良になっていると思えば納得がいった。

「カサンドラになりやすい人」の性格が私にドンピシャだったことで、ひょっとして私は、他人に知らず知らずのうちに迷惑をかけているのではないかと思い始めた。
自分をもう一度冷静に見直してみようと思う。

 

65歳、いまさらではあるが、残された人生を私が疲弊せずに夫とも暮らしていける。そんな道を探っていきたいと思う。

 にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ
にほんブログ村

にほんブログ村 ライフスタイルブログへ
にほんブログ村

 にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村