強迫神経症とアスペルガーの合わせ技だった
強迫神経症は夫本人も自覚がある。
しかし、アスペルガーは本人には自覚がない。
今さら診断されても年齢的にどうなるものでもないと私は勝手に思っている。
夫の強迫神経症は「加害妄想」
自分が誰かに危害を与えるのではと言う不安があるようだ。
それも「死」に直結している。
「自分は死にたくない」から来ているようだ。
究極だが、「誰かを殺したら死刑になって自分が死ぬ」それが怖いらしい。
だから、「誰かに危害を加えたのではないか。捕まって死刑にされるのでは」という不安が付きまとうらしい。
かつて、誰かに手を上げるとか、私を殴るとか子供に手を上げたことなど一度もないのである。
それなのに、「人に危害を加えたのでは」と悩むのは、私にはどうしても理解ができない。それが病気なのだと言われればうなづくしかないのである。
ただ、身内としては、「被害妄想」で「誰かにやられる前にやってしまえ」ではないだけ、安心感はある。
人様に危害を加えることはないからである。
キーワードは穴
特にマンホール。これはどう寄り添っても理解できない。
夫は我が子をどこかに遊びに連れていくとかいう発想もなかったし、孫ができても会いたいとかどこかに連れていくという発想もない。(ここはアスペルガーの行動だと思う)
それでも、たまには会わせておかなければと、私の提案で孫と公園に行ったことがあった。帰り道、夫の態度が少しおかしかった。
後で聞くと、「孫がマンホールの中に入った」という。目の前で孫は元気で遊んでいる。
私は、私の勝手な思い込みで「孫と遊ばせる」という提案をしたが、夫には苦痛になったのだ。だから孫とも遊ばないのだ。
その後、半年くらいは「孫は元気でいるよね?公園からいっしょに歩いてかえったよね?」と確認していた。
それ以来、年に一度くらい一緒に食事をということにして、その時の気分で夫不参加でもいいと思うことにした。
ただこれは世間の人には理解してもらえない部分だ。理由を言っても理解してもらうことは難しい。世間との板挟みがつらいところである。
私も何度かマンホールに入れられたようである。
いっしょに歩いていたときに私がマンホールの中に入ったらしい。
ただ私の場合は毎日私の確認ができる。
大変なのは、出かけた先で会った人がマンホールに入った場合である。
確認もできないし、かなり長期間引きずっている。
だから、旅行なども行かないのかと納得する。
私にとって、「幽霊が見える人」と「マンホールに人が吸い込まれた」は同じレベルだとしか理解ができない。
夫は「霊が見える人」が理解できないらしい。「霊なんかいるわけがない」と断言する。
私には全く霊感はないが、いま私の周りにはなぜか「霊感」がある人が集まってきた。
その人たちに旦那様のマンホールの話をすると「そんなわけないよ」と一笑される。
溝に落ちていた自転車
強迫神経症の旦那さんを持つ人と知り合った。
その旦那さんは仕事の帰り道に溝に落ちた自転車を見たそうだ。
翌日、その近くの家で葬儀があった。
自分が車ではねたために亡くなったのではないかと不安になったそうである。
翌日から車ではなく、歩いて会社にいくようになり、家に戻ると知人(奥さん)に何もなかったかを確認させるようになったそうである。
私の場合は、まだ口頭で質問されるだけで済んだが、知人は毎日、旦那さん帰宅と同時に、その溝まで確認することを何年も手伝ったらしい。
その後、旦那さんのご両親が亡くなられ、症状はピタッと止まったという。
不謹慎ではあるが、私も子どもの頃の何かが原因ではないかと思っていたので、我が夫も両親が亡くなれば変わるのではないかと少し期待もした。
しかし、我が夫は何も変わらなかった。
目の前まで引き寄せて突然シャッターを閉める
結婚して以来、毎日1~2時間、夫の話を聞いてあげることが習慣になっていた。
「そんなバカな」と思いながらも聞き続けてきた。
20年が過ぎたころ、「話を聞いてくれる人ができたからもいいいよ」と言われた。
行きつけの飲み屋さんに同じ状況の女の子がいるらしい。
私は共感できる人ができて本当によかったなと思ったし、私を開放してくれる優しさでもあると理解した。
しかし、これはアスペルガー的な行動である。
自分に理解を示す人ができたら、いままでの関係ある人をピシャっと断ち切る。
私は、話を聞くことをシャットアウトされただけだった。
仕事場で中国人の子と仲良くなったらしい。私は「友達ができたんだ。よかったな」とよろこんでいた。
毎日夜に電話していた。ところが突然「いまから●●君の連絡先を消すから君も消してくれ」と言っている。
私はぞっとした。
恐らく、相手は意味がわからないと思った。日本に来て、話をしてくれる人と出会って友達になったと思っていたのに、理由もなく突然の絶交宣言である。
こういうことは何件もあった。そして友達はいなくなった。
これは身内に対してでもある。私からみてもケンカしたわけでもないのに突然に閉ざす理由がわからない。
ただ、夫の中では何かあったのだと思う。ただ、あまりにも突然で相手は唖然とする。
この辺が当時は理解できなかったが、アスペルガーと言われると納得がいく。
強迫神経症とアスペルガーの合わせ技だと思うと理解ができる。
カサンドラ症候群にならないために
「なぜ、離婚しないの?」「なぜ、あなたがおかしくならなかったかが不思議」とよく言われる。
それは、私自身の考え方がちょっと普通でなかったことが大きい。(そこはまた次に)
40年前は人前では話せなかったことである。当時はいまのようにソフトな言い方はなく、健常人か鉄格子がある中にいる精神病患者かの二択だった。
20年前、ネットが使えるようになってからは、何度ホームページを作っただろう。しかし、どこまで書いていいのか、作っては削除の繰り返しをしていた。
「病気についてではなく、当人ではなく、その家族のためのフォローが欲しい」そう思っていた。
ブログが簡単にできるようになってからもそうであった。
先日私は65歳になり、残された人生を考えるようになった。そんな時に「夫はアスペルガー?」ということになった。
いまは、発進することもできるし、情報を受け取ることも簡単になった。
このブログで発信しながら、私まで疲弊しないように、夫とも暮らせるような道を探っていきたいと思っている。