アスペル夫と生きていく術。いまだ模索中

65歳で行きついたのが夫はアスペルガー。さて今からどうやって生きていくのか

一瞬で納得した「お互いさまの概念の欠落」

夫と知り合って44年が過ぎた。
結婚前から「強迫神経症」であることは分かっていた。
ただ、現実ではありえないことに不安を持つので、寄り添いながらも私には理解できなかった。

結婚生活をしていくうちに、生活の中で「おかしいな」と思うことはたくさんあった。

ごく最近になって、ようやく「アスペルガー」ではないかと思うようになったのである。

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いつまでたっても幼稚園児

私たち夫婦には孫が3人いる。
夫は孫が嫌いなわけではないが、会いたい、可愛いという感情はないようである。
それでも孫が遊びに来てくれたときには、話くらいはして欲しいと思う私である。
ときどき孫がとまどうようなことも言うので、「たんぽぽ組のじいちゃん」と私が命名した。
そのほうが孫が寄っていきやすかったからだ。

一番上の孫は幼稚園を卒園していまでは高校生である。
二番目の孫も中学生だ。
皆、成長しながら一段一段、確実に階段を登っている。

夫だけが幼稚園児のままのような気がした。

そしてついに三番目の孫は今年小学校に入学した。

孫の成長を見ながら、なぜいつまでも夫は同じ位置にいるのだろうか。

 

いつも下を向き、人と挨拶をされない人がご近所にいた。
孫と同居することになり、孫の世話をされるようになり、私たちにも挨拶どころではなく、世間話までされるようになった。
同居されて良かったなと思っている。(孫とともに成長された)

一方、我が家を見てみると、何の成長もない「たんぽぽ組のじいちゃん」がいる。

一瞬で納得できた「お互いさまの概念の欠落」

3年くらい前に息子が言った一言である。
「自己愛性パーソナリティ障害じゃないの?そんな人会社の中にたくさんいるし。」
息子は父親が特別じゃないよ。いつまで同じところをくるくるまわっているのかと私の態度を避難した。自分の人生なんだからと。いつまでも変わらない父と、そのことでいつまでも変わらない私にいら立つのだ。

息子から見ると、両親ともに同じ位置をくるくる回っているように見えている。

 

調べてみた。その中に特徴の一つとして「お互いさまの概念がない」と書いてあった。

少し欠けているのではなく、欠落である。最初からないのだ。
一瞬で今までの旦那様の行動に納得がいった。

最初から欠落している、備わっていないのなら、いままでの私の言動はまったく無意味だったことになるからだ。

私にとってはその後「お互いさまの概念がない」ことを前提に付き合えばいいことに気づき、対処が楽になった。

「私を喜ばせたり、どこか連れていこうとか思わないの?」

夫を抜きにして私だけが遊びにいったりすることに私は罪悪感を覚える。
私はすべて父親が決断してくれる家で育っている。それを当たり前だと思っていた。

ところが夫は何一つ指示を出さない。それが大きな出来事でもささいなできごとでもである。

夫の口から「どこか行こう」と言ってくれるのを私はただ待っていたのだ。

 

60歳を過ぎたころ

「私を喜ばせたり、どこかに連れていこうとか思わないの?」と聞いてみた。
私が言い終わる前に
「ない」と一言。

私はハッとした。私に対しての当てつけとか、いじわるからではない。

逆に「そうなんだ」と納得した。
そういう概念が本当にないんだと納得した。

「一人で行ってくればいいじゃない」と夫。

「うるさい、一人で行けよ!」ではなく、「行きたいところに行ってくればいいのに」と提案してくれているのだ。

夫婦でどこかに行くのが当たり前だと思っていたのは私のルールであって、夫にはそんなルールは最初からなかったのである。

私はとても気が楽になった。

私は自分で自分を追い込んでいたわけである。

以後、私は一人で気楽に動けるし、仕事場も構えた。
いまでは半別居を始めて4年目になる。

ただ、自由にはさせてもらえるけれども、責任も私が背負うことになる。

 

65歳、いまさらではあるが、残された人生を私が疲弊せずに夫も暮らしていける。そんな道を探っていきたいと思う。

 

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