65歳で気づいた。夫はアスペルガーで私はカサンドラ
カサンドラとは、アスペルガーの特性の影響を受けて、パートナーが心が不調を起こすことである。
私はごく最近夫がアスペルガーではないかと気づいた。
もう少し早くアスペルガーと気づいていれば、夫との関係に工夫や対策をとれたであろう。
気が付くと、私が疲弊し、今までと何かが違う、心身ともに何か変だと思うようになっていた。
- 私はカサンドラ?気づいたきっかけは
- 「カサンドラ」になってしまう2つ要因とは
- 私たちの世代に「アスペルガーとカサンドラ」という言葉はなかった
- 気が付けば私はひとりぼっち
- 本音は「誰か助けて欲しい」だった。初めて出すSOS
私はカサンドラ?気づいたきっかけは
私はアスペルガーという言葉は知っていた。しかし、カサンドラという言葉は初めて聞いた言葉であった。
強迫神経症を持っている夫との44年間で、本人も大変なのだろうが、それを支える方も疲弊することは経験上わかっていた。
だから、私なりに工夫してきたつもりであった。
身内から出たアスペルガーという言葉
ごく最近のことである。アスペルガーの子どもを持つ従姉妹から私の夫はアスペルガーだという指摘を受けた。
「治らないのだから、あなたが考え方を変えるべき」だと。
私が気づくきっかけは身内→インターネット
アスペルガーを検索していたら、カサンドラという言葉が出てきた。
「今の私はこれだ」。44年間、私は周りから「鋼のメンタル」と言われてきたし、自分でもそう思っていた。物事を深く考えない性格が幸いしていたのだと思う。
ここ2~3週間の心身の不調
いままでは「何とかなる」「二人で頑張れば」と頑張ってきたつもりだ。
この体調の悪さは何だろうと考えた時、夫が「アスペルガー」ならば、私も「カサンドラ」だったのだと気づいた。
44年間、知らず知らずのうちに蓄え続けたストレスが満杯になったのだと思った。
「カサンドラ」になってしまう2つ要因とは
孤独感と孤立感である。
- 孤独感…夫婦で感情や責任を共有できない
- 孤立感…他人に話しても分かってもらえない
私の場合の孤独感と孤立感
孤独感
44年間の学習で、夫と共有するのは無理だとわかるようになった。
何も共有できなかったことで、孤独感はすでにない。
50代に入り、3度の乳がんと、災害で仕事場を自宅から別の場所に移したことで、
夫中心に考える生活を変えることにした。
「私が元気で仕事をしなければ、我が家の家計が回らない」という大義名分があったからだ。(世間に対して大義名分がなければ決断できない私)
必然的に別居生活になり、それで救われた部分は大きい。
孤立感
他人には共感してもらえない。「どこの旦那もいっしょよ」という話で終わってしまう。
身内は私たち夫婦を長年みているので「またか」という反応をする。はやく離婚をすればいいのにとアドバイスをされる。決断しない私は非難されているように聞こえてしまう。
私たちの世代に「アスペルガーとカサンドラ」という言葉はなかった
私にも、夫の愚痴が言える、話を共感できる友人が4人できた。
皆、子育てはすでに終わっていた。いまから夫婦でどう過ごしていくかという年齢だ。
「夫が帰宅する時間になると心臓がパクパクする」
「自分勝手な夫と離婚したい」
そんな話が多かった。私はと言えば、「変わった夫で困っている」とは思っていたが、離婚とか体調不良などは無縁だった。
すでにその頃、私も含め、皆「カサンドラ」だったに違いない。
「カサンドラ」という言葉も当時私たちは知らなかった。
共感してくれる人が一人もいなくなった私
いまから思えば、皆それぞれ友人の配偶者もアスペルガーだったのではないかと思える。当時は誰も気づいてはいなかったことだ。ただ、私の夫には「強迫神経症」と病名がついていたので、我が家だけが別格という扱いだった。
ところが、50代で友人たちの配偶者が次々と亡くなってしまった。(2年間のうちに)
友人たちから「旦那さんはどう?」と聞かれるので「相変わらずよ」というと、全員が「生きてくれているだけいいじゃない」と言う。
私は以降、彼女たちの前で夫の話はできなくなった。
亡くなった人には勝てない。全員想い出の中では「いい夫だった」になってしまい、つらかったことは消去されているからだ。
あれから7~8年経過した。
その間、私は乳がん手術3回、災害による仕事場の移転などで目の前の現実に追われる日々を過ごした。
気づけば私は「夫の件」に関して話せる人は誰一人いなくなっていた。
共感してもらえる人がいなくなった。
仕事上でも私が事業主であるため、かかわりを持つ人は皆一回り以上年下だ。
私が相談に乗る立場である。このコロナ禍で私が弱気にもなれば皆も不安を覚えるだろうと、強気を前面に押し出している。
気が付けば私はひとりぼっち
私は結婚以来、夫の性格と私の性格上、それまでの友人との連絡を絶ってきた。
夫が人と付き合わないのに、私だけが友人と会うなんてという理由からだ。
私が友人と会おうが、遊ぼうが好きにしてもよかったことが今ならわかる。
唯一、前述の「アスペルガー的な配偶者」を持つ人たちと友人関係になれた。
しかし、全員、50代で配偶者を亡くしてしまっている。もう夫の話は言えないが、それ以外の話はできる。
だが、コロナ禍で友人たちにも会うことができず、仕事もないゴールデンウイーク中、心身ともに絶不調になった。
このままではいけない。仕事が始まったら、また元気な私を前面にださなければならないのだから。(無理してでも)
本音は「誰か助けて欲しい」だった。初めて出すSOS
4人の配偶者を亡くした友人とは「夫の件」では共感してもらえなくなったが、友達としての付き合いは続いている。
「気づけばひとりぼっち」のままではいけない。
今日、LINEでSOSを出した。
私は「お願い、助けて」が言えない女である。他人からお願いされると120%のパワーで対処してきた。しかし、自分のこととなるとどうしても「お願い、助けて」が言えないのである。
「お願い、助けて」が可愛く言えたら私の人生はもっと違ったと思っている。
でも、「お願い、助けて」が言えないのなら、自力で頑張るとやってきた人生であった。
今回、人生初めての「お願い、助けて」のSOSを出した。
彼女は一回り年下だが、ちょっと変わった夫という認識でも知ってくれている。
何も知らない人に、一から説明する体力もない。
しかし彼女なら、私の背中を押してくれそうな気がした。
彼女は私が「お願い、助けて」の言えない女を理解している。
「お願いの言えない私の人生初です。お願い助けて」とLINEした。
「全力で応援します」と返事がきた。
65歳、いまさらではあるが、残された人生を私が疲弊せずに旦那様も暮らしていける。そんな道を探っていきたいと思う。