自ら進んでウツになるのだけは阻止しなければならない
私はかつて2度ほど、ウツの入口に入りかけたことがある。
今回、3度目の入口に立った。
夫の言動に振り回された結果である。
いまから考えるとカサンドラ症候群だったのだと思う。
今回も、過去の学習から乗り越えることができたと思っている。
まずは自分を最優先に考えることである。
1回目ウツの入口
夫が強迫神経症であることは分かっていた。しかし、「人がマンホールの中に入った」とか私にとっては現実味はないので、そこにストレスは感じてはいなかった。
30年前、夫の実家に帰省したときのことである。
500キロ離れたところを車で帰省する。
「今回は旅行をしよう」と夫が言ったのである。(初めてのことだ)
私も子供も嬉しくなった。途中で地図を買い、予定を立てていた。(予定をたてるように言ったのは夫)
帰省すると夫は毎日甥や姪と楽しく遊んでいる。我が子とも遊ばない夫が甥や姪と遊ぶ姿に少し腹がたった。しかし何日経っても実家を切り上げて旅行に出ようという気配もない。
「あぁ、このまま直行で自宅に帰るんだな」と思った私は珍しく怒って「私、先に帰るから駅まで送って」と言った。
「ちょっと待って」と言って夫は帰り支度を始めた。
500キロ、話すこともなく我が家へ帰宅した。(それでも途中寄り道して観光してくれることを期待していた)
今から思えば、「家族で旅行に行くのよね。そろそろ帰らない?」と言えば良かったのだと思う。
夫の頭の中からは「家族旅行」などすっぽりと抜けていたのだ。
なぜ私が怒ったのかも理解できていなかったのだと思う。
当時、夫がアスペルガー症候群だと理解できていたら対処の仕方も変えることができただろうと、いま思う。
帰宅してから、体調が悪くなった。なぜなのかわからない。
病院に行くと話もそこそこに「精神安定剤」を処方された。
1回は飲んだが、フワフワと雲の上にいるような感覚を覚えた。
初めてマッサージに行った。
マッサージ師さんから「自律神経が乱れてる」と言われ、なんか揉んでもらうより、その時の会話に癒された感じがした。
2回目のウツの入口
そのときの原因はよく覚えていないが、原因は夫である。
やはり1回目とおなじような体調不良になった。何か不調なのだ。
電話が掛かってきた。友人からの相談事だった。
「どうしたの?元気じゃなければあなたじゃない」と言われた。
「私だって悩みはあるし、元気じゃないときだってあるよ。あなたの相談なんかに乗ってる状況じゃない」と心の中だけで思った。
いまだったらわかる。
言えば良かったと。私の相談にも乗ってと。
そのころはもう「ウツ」という言葉も日常に出て来るような時代になっていた。
私はその時に思った。
「ウツ」になり、抜け出せない人もたくさんいる中、自らウツになるのだけは阻止しなければと。
夫は助けてはくれないと。
3回目のウツの入口
それが今回である。
トリガーを引いたのは、身内からの言葉だった。
夫の愚痴を世間話として話すとたいてい「どこの旦那もいっしょよ」で終わる。
もし本当に思っていたとしても、「お宅の旦那さん、おかしいよね」と面と向かってはいわないからである。
ところが、身内ははっきりと言ってくれる。それは私のためだからだ。
しかし、これは堪える。私の44年間を否定された気にもなる。
薄々は気づいていたが夫がアスペルガー症候群であるということだ。
私は「強迫神経症」は認めていたが、身内2人から指摘をされた。
私の考え方を変えるべきだという。
夫を変えることは無理だから、あなたが疲弊しないように、自分を中心に考えて生きていけという。
アスペルガー症候群だと言われるといままでの44年間が理解できるのだ。もっと早く知っていればといま思う。
ゴールデンウイーク中、体調は絶不調である。
以前、「ウツ」の入口に立ったときと同じ感覚である。
明日からまた仕事である。
今日のうちにリフレッシュしたい。
開いているマッサージ屋さんに予約を入れた。
お陰様で体は元気になった。
夕食はちょっと贅沢なテイクアウトにした。
自分のために贅沢をした。
トリガーを引く身内から連絡がきた。
テイクアウトを持ち帰っている時に弟から電話が入った。
「来たかぁ」と思った。
夫の言動で弟にはたくさんの迷惑をかけている。
いつも板挟みになっていた。
今回、身内3人から申し合わせたように連絡がきたことになる。
言ってくれることが的を射ているだけに、私には堪える言葉である。
しかし、今回は私のほうに覚悟ができていた。
夫の対応をいままでと変えることを決めたからだ。
診断はしてもらっていないが、「アスペルガー症候群」だということを告げた。
いままでの数々の言動もすべて納得がいく。
いつもになく真剣に話を聞いてくれた。
今回も「ウツの入口」で踏みとどまれたと思っている。
今回、ブログにアスペルガー症候群の旦那様のことを書き始めたのも、私のメンタルの維持と同じような状況にいる人と共有できればと思ったからだ。
65歳、いまさらではあるが、残された人生を私が疲弊せずに旦那様も暮らしていける。そんな道を探っていきたいと思う。